FBとプロパガンダ
Facebook Boots NYU Disinformation Researchers Off Its Platform : NPR
ニューヨーク大学による誤報やプロパガンダに関するリサーチをFB側が強引に打ち切ったことが明らかになったをNPRが発表した。
2020年にイスラエルのサイバーセキュリティ社CHEQが発表した誤報やプロパガンダによる世界的な経済損失は年間780億ドルにも登ることを考慮に入れると、FBによる妨害は重大な問題である。
またシンクタンクInfluenceMapの調査によるとFBが石油産業のプロパガンダを流すことに協力している事が判明している。世界中で気候変動の影響で洪水、土石流、森林火災が勃発しているのに物騒な話だ。
一方で絶滅に瀕している大西洋マグロを守るための漁獲規制が導入されたことを機に日本は漁獲量を1.5倍にすることにしたらしい。どうせ消えるなら食べてしまえってのもおかしな話だ。
大西洋、20年にクロマグロ漁獲枠5割 日本は45%増 - SankeiBiz(サンケイビズ)
なんかマッドマックスみたいな世の中が待ち受けてる気がしてならない。
自動インボイス処理ソフト
今まで働いてきた会社では請求書処理が実際どう処理されていたかぶっちゃけ分からないけど、経理チームのデスクに常に印刷された紙の山があったので印刷してから手入力していた事が想定される。2021年現在、請求書をオートメーションで処理してくれるものがあることを考えるとこれはもう狂気でしかない。
同社調べによると平均的に請求書一つ処理するのに$8〜60のコストが掛かるらしい。内訳は人件費や保管費以外にメールでのやりとり、分類、重複処理といった無駄な処理、入力ミスや紛失が含まれるらしい。紛失した請求書を探したり再発行を申請することを含めると請求書一つ処理するのにつき$200もかかるらしい。こんなの絶対人に処理させたらいけないやつじゃん。
値段もそんな酷くない。SmartSoftの自動請求書処理ソフトは単品請求書に限っては3000までが請求書につき$0.20、10,000までが$0.10、50,000までが$0.09、200,000までが$0.08。人を雇用するのより遥かに安い。
本題とは関係ないけど昨日辺りからハイパーポップばかり聴いていて狂気を感じる音がかなりいい。
Surface Dial
Surface Dialが前から気になっていたので購入。あまり期待していなかったけど手に収まるフィット感とダイヤルのネットリ感がセンス良すぎて、回したいがために使用したくなる。
利点
欠点
- アプリによって反応しない(Zoomなど。API調べないと使えなさそう)
- ネイティブ機能として導入しているアプリに比べて他のアプリでは機能制限を感じる
- 鉄板の上で使うときにダイヤルを回すと微弱な漏れ電流がピリピリと感じられる
- 裏側の材質に埃が付着すると画面に付きにくくなるらしい
もっとガンガン使用しないとイメージが湧かないけど、今までのPCの使い方にダイヤルを適合させるのではなくてダイヤルにPCの使い方を適合させた方が新たな使い道が浮かびそう。
音楽的な使用に挑戦すると楽しそうではある。
機能を拡張するアプリが出たらかなり楽しいと思う。
こいつの3連式や4連式とかあったらいいんじゃないか?monomeの出してるArcってコントローラーも良さそうだよね。
そういや最近のR&Bってどうなん?て思って聞いてみたらかなり良かった。黒人って音楽やらせるとやっぱすごいねー
認識は存在を規定するってやつの実用
認識は存在を規定するということは別に新しい発想ではないと思う。このくだりを実用できる場面がここ数年あって本日漸く分かってきた。
というのは、ドイツに移ってから言語間における実存的命題の認識に対して違いがあることに気付いた。実存的命題Q(x)とは
∃x∈D | Q(x) あるxはDに属する
といった形の命題で「港区に東京タワーがある」や"There is an idiot"といった物の実存を述べる命題のことを指す。この手の命題Q(x)の妥当性を証明する方法は最低一つの物xが領域D内に存在している例を提示する事で成り立つ。
面白い事にドイツ語で同じことを言う場合は„Es gibt"となり、直訳すると「それは〜を与える」という事になる(フランス語も同じらしい)。つまり物は存在しているのではなくて与えられているといった考え方になる。英語にはこうやった違いがなかったので結構驚きである。
この様に物の存在に対する認識が記号として違うので、表現を知っただけでもイメージを正しく認識しないとそれだけ状況把握がズレていく。
他にも「どんな〜ですか」といった物の性質を問う質問も„Was für"といった形式を取る。直訳すると「なんのために〜ですか」といった質問になる。つまりドイツ語における存在の性質と意義は同義に近い物らしい。ドイツ人がやたらと意義や性質について確認したがるといった話を人から聞くけどこう言う事だ。
確かに人間の生活に関連する物の性質を突き詰めると、多くのものが人為的に加工された物であるから意義の話に到達してもおかしくない。
こういう背景について考えるとドイツからショーペンハウアーやハイデガーやフッサールが出てきたのも頷けるし、フランスからポストモダニズムが生まれたのも納得がいく。だって日本語的な考え方からしたら実存は本質を先立つ!と言われても、日本語という言語がそう示唆しているから新鮮さが感じられない。
かといって、近代哲学って言葉に囚われすぎじゃないか?と思う自分もいる。95年のソーカル事件でデタラメな論文を提出しても学術的に認められてしまうという哲学の現状はもう言語で考えられる限界に近付いたことを示唆している様に感じられる。言語は所詮思考を共有するために生み出された音と記号を用いた伝達手段に過ぎないので、重要な部分は言語化する前のヒトの思考の普遍性や安定性にあると僕は感じる。自然言語を数学的に組み立てる事が可能といった点から数学にも限界がある様に感じられる。
あらゆる書籍がマンガ化されてる
アマゾンで書籍をパーっと流し見してて気付いたけどマンガじゃないとダメな人が増えたの?
シーケンス制御をマンガで読むってすごいよね。ルール34の次に全てに適用できそうなやつだよ。マンガは面白いとは思うけど細かいニュアンス理解できんのだろうか。
なんなら聖典までマンガ化されてるみたいだけどヤバそう移転に興味を示すきっかけになるのならいいけど、コレで読んだ気になる人っているのかな?
聖典は御伽噺とかではなくて神仏というゲシュタルトや主観的観念論について記されているから聖句を追わないとニュアンスが掴めない代物だと僕は感じる。マンガでは不十分だろう。
例えばエゼキエル書は最初サイケデリックな日記かと思って軽い気持ちでサラ〜って読んでいたけど、次第に社会問題・社会現象のゲシュタルトについて記したサイケデリックなアレゴリーだと気付くことができた。こうやった読み方はマンガから読み取ることはできない。